プラハ。子育てとコルナ
2021年1月13日 水曜日

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Photo by Petr Horcicka

昨日は久しぶりに主人と二人そろっての外出で、税理士のところに寄ってその後近くにあるユダヤ人のベーカリーの美味しいパンを買った。
プラハは冷え込みは厳しいと言うほどではないが、朝からひらひらと雪が舞い、こちらの久しぶりの雪景色になった。
新しい雪はプラハの街の建物の美しさを一層引き立てる。歩き慣れた道を行く途中でも改めて周囲の建物に目が奪われる。

正面はヴィノフラディ地区に建つ今では使われていない水道塔。1882年完成。

周りの建物を見ながら、やはり気になるのは雑貨屋さん、文具屋さん、カフェ、本屋さんなどがクローズしていること。
チェコはクリスマス過ぎてすぐに再度非常事態が敷かれ、基本的に食料品店以外の店の営業が禁止になり、1月10日までの期間も27日までに延長になった。
食品ということで窓口営業できるはずの贔屓のケーキ屋さんまでなぜか閉まっている。

せっかく坂を登って賑やか(だった)広場まで二人で出てきたのだし、税申告書類もついに私の手を離れ、晴れて提出が終わったのだし、そのまま引き返すのがなんだか口惜しい気がするものの、かといって行くところも買う物もないしあったとしても閉まっているので、久しぶりの雪景色が美しい広場の写真を数枚撮って結局帰路に着いた。

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Photo by Petr Horcicka

こうなったら、教会にでも行くかという人らしき数人を教会の前に見かけるが、そちらもクローズしているらしい。(チェコでは無宗教の割合が多いことでも知られている。)

そんな人を脇目に見ながら、またもや「いい加減なにかやりたい。」という気持ちが湧いてきた。
去年の今頃は前の年いっぱい働いたご褒美の、家族揃っての日本への一時帰国のトラベルフィーバーに胸躍らせながら、東京銀座のバーボフカ販売会の準備に奔走していたし、販売会で売る帽子の製作も忙しいと文句を言いながら、心の中では鼻歌を歌っていたような気がする。
帰ったらこの写真展に行こう、帰ったらあの人に会える、撮影の仕事も待ってる、xxx美術館の展示も間に合う、商談で鳥取まで旅行がてら行ってしまおうか・・・。
目の前には降ってくる課題とその選択肢が山積みだった。子育てで生活範囲が急激に狭くなってすでに2年を経た私にはそれを考えるだけで、ストレス発散の格好の材料だった。
人出がまばらなため足跡に汚されず残る美しい白一色を見ながら、去年の同じ時期を遠い昔のように思い返した。

「いい加減、なんかやりたい。」笑。

こちらで去年予定していた日本からの商品を含めたプラハでの販売会、また販売を始めた日本茶の試飲会も未だできないでいる。
そんな大げさなものではなくても、親しい友人とのビールを飲みに行ったり、家で集まってワインの飲み比べなんかをしたり・・・。今はそんな日常の些細な息抜きでさえままならない。

3歳までと決めた授乳が昨年末に終わり、やっと好きだった飲酒も4年ぶりの解禁。息子も幼稚園に通い出し、周囲の母親たちが言っていたように3歳過ぎれば子育ても少し手を抜いたり、息子も一人でできることが多くなって、気がつけば「少し楽」になった。少し楽になってきたからこそ、いい加減この3年間我慢してきたことや、コロナ禍でできなくなっちゃったことなんか、如何にもこうにも恋しい気分に見舞われる時がある。

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Photo by Petr Horcicka

子供がいない頃、私はたまに暗室に入ると昼食も夕食も忘れて何日も作業に没頭した。食べなくても寝なくてもなんてことなかった。そんなこと別に自慢でもないし、他の分野でもそのくらいの温度で製作している技術者やアーティストなんかいっぱいるだろう。でも、今はそれができない。朝は6時過ぎに起き、息子を3時半に迎えに行く。その合間に仕事を済ませ、息子が帰ってきたと同時に6時に間に合うように夕食を作り、9時には風呂・歯磨き・着替えをすませて息子と一緒に一旦布団に入る。同じように世界中の母親あるいは父親が似たようなルーティーンで日常を運営しているのは知っている。子供を授かるまで、そんなことは思いもよらなかったことが逆に恥ずかしいぐらいだ。そして私はもうある程度この生活がこれからもしばらくずっと続くということも堪忍している。

幼稚園にその息子を迎えに行くと、入ってきた私に気づき、息子の表情が照れ臭いながらぱっと明るくなる。そして私の気持ちもぽかっとマッチが灯ったような気分になる。
私の今の日常を象徴するのはその一本のマッチの灯りだと思っている。

かつての私の生活の一部だった赤暗い暗室には禁忌のマッチの灯り。どうやっても(私には)両立できない世界。
やらなくてはいけないこと、親の義務、仕事が山盛りのそんな中で得られる小さな化学反応のような感情は暗室でいいプリントができた時の一瞬の充足感となんとなく似ている。「いい加減なんかやりたい」が叶えられないなかで、私に改めて与えられたマッチ一本の灯り・・・。小さくて儚くてとても頼りないものだけど、それでもなんらかの実感、しっかりとした理屈抜きの感触・温度が私の心に直接届く。

みんな、今は過渡期「とりあえず」だと思っている。私も。

子育ては苦あり楽あり、それでも結構大変な事業。コロナのような災難ではないが、子育てもコロナもきっとホッと息を吐く時がくると思っている。写真を撮っていそいそと家に帰る道すがら、漠然と次の日本、息子のこと、写真のこと、雑然とした思いが溢れてきて、目の前の普段のごちゃごちゃがせめて雪で白一色に消されているのを心地よく感じた。

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Photo by Petr Horcicka

「こうだったのに、こうだったらいいのに。」自分の中に細かな皺のような感情の堆積が、雪のように溜まっているのも気づいているけれど、反面、放っておけば雪解けのように流れ去り、消えていることがほとんどで、私はそれを期待して時の流れに任せて毎日の日課をこなす。
冬が来て春が来るのは毎年のことだけど、春が来て草花が芽吹く時期はお約束のようにフレッシュな新しい喜びを運んでくる。
その時に多分少しでもまた「なにかやれる」ような時間が来ることを期待している。

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Photo by Petr Horcicka