ロシアのウクライナ侵攻
2022年2月28日 月曜日

ヨーロッパに住む一員として、すごい衝撃で伝わってきたこのロシアのウクライナ侵攻のニュース。21世紀のこの時代にヨーロッパで戦争が勃発・・・。
ロシアのテレビではプーチン大統領の嘘八百ばかりの根拠のない理由づけの演説に、思わず我を疑うほどのショックをうけ、それがこの4日間ずっと続いています。

報道で映し出される映像には、プラハとそんなに変わらない街並み・・・。
またウクライナ人の話す言葉はチェコ語にもかなり近いスラブ語ですので、私が囲まれて暮らすチェコ人ととても近しく感じられ、そのせいもあり戦争に対する恐ろしさと怒り、そして悲しみも身につまされるものがあります。息子と同じくらいの歳の子を抱き、地下鉄に座り込むお母さんを見ると、つい数日まで私たちと同じような生活をしていたのにと何とも表現しようのない悔しい思いが湧いてきます。

日本では、モスクワを中心にウクライナ侵攻に対するデモが連日起こっている報道されてはいますが、チェコ人の友人に聞くとロシアで大学に通う大学生の友人にフェースブックでロシアがウクライナを爆撃していることを伝えても、「そんなことはあるはずがない。信じない。」と言ったと言います。ロシアの情報操作、虚偽の報道で、実際に何が起こってるのかを把握している人間がロシア全体で、全ての世代でどこまでいるのか私たちにはなかなか想像しづらいとことですが、ロシア当局はプーチンの演説しかり、延々と自国の行為を正当化する都合の良い虚偽を捏造して、国民に伝えています。

チェコの人たちも、ウクライナ人は気骨があるとよく言いますが、ご存知の通り、民間人が武器を取り果敢にロシアに応戦しています。ウクライナ人の奮闘を応援しつつ、ロシアに負けるなと願う一方で、民間人が武器を取る最悪の事態に発展したことにやはり怒りと悲しみを感じます。戦争はあくまでもルールに則って兵士がやるものです。

EUの対応としてそれぞれの国で当初ばらつき、困惑はみえたものの、4日を経過した今、SWIFT国際的な決済ネットワークからロシアの銀行を締め出す措置をとることにヨーロッパ全体で合意、またヨーロッパ各国からの武器支援がウクライナに続々と投入されつつあります。ホッとしたと一言で言える状況ではもちろんありませんが、少しでもウクライナの人たちの援助になるように願うばかりです。

侵略されてしまったからには、国を守る。兵士がいなければ民間人でゲリラ戦で戦う。女性たちは広場で火炎瓶を作る。ゼレンスキー大統領のツイッターでの演説とともに、徹底交戦の構えをとる断固としたウクライナ人の態度が伝わってくるニュースばかりですが、相手国の大将はとんでもない狂人ですから、泥沼化した時どんな結果に陥るのか・・・本当に恐ろしいことです。

観光客が多すぎる、プラハ市民の平穏な生活が、物価が・・・とブログを書いていた頃が懐かしくなります。
コロナ・ウィルスも未だ落ち着きは見せてくれませんが、それにも増してこんな追い討ちで、これからの世の中どうなってしまうのか・・・。チェコ人は1968年ロシアに侵攻された経験がありますから、社会も騒然としていますし、また心の中にあるロシアに対するトラウマも吹き出している気がします。去年からガスや電気代が一部の会社で数百%の値上げというニュースがあり、我が家を含め多くの人が利用しているプラハ電気会社(東京電力のような会社)から4月より200%の値上げという連絡がありました。大きいニュースから小さいニュースまで含め、去年から肌の感覚で時代の流れが加速していくような感覚があり、周りの人も多くが同じようなことを言っていましたが、以前にも増して時代の大きな渦の中にいる感覚があります。

先日プラハで行われた平和パレードについてのブログの中で少し触れたように、チェコの詩人で反体制地下活動家の最重要人物の一人、通称マゴル、イヴァン・マルティン・イロウスの言葉「「喜びを忘れないで。」(aby se neztratila radost)というスローガンが心に刺さります。活動家でもない私、兵士でもない私、それでも母であり守る人がいる立場でウクライナに人たちに何もできない切なさを感じながら、ビロード革命を主導したヴァーツラフ・ハヴェル大統領の「真実は勝つ」(Pravda vítězí.)にすがる気持ちでウクライナの安全を祈っています。

 

チェコでは2月27日の本日、ヴァーツラフ広場で約80000人がロシアのウクライナ侵攻に対してデモを行いました。チェコの人たちもみんな怒っています。

写真は在チェコ・ウクライナ大使館のウェブから借用しました。

 

毎年恒例年明けパレード
2022年2月9日 水曜日

(↑こちらの写真はバーボフカ息子の初のドキュメンタリー写真です。)

本日はかなりチェコな議題。日本の方にはなかなか説明の難しいテーマになるかもしれませんが、私たちが毎年参加している平和のためのパレードについてのブログです。
(というか私自身にとって難しいので気軽にお読みください!)

このパレードはペトル・プラツァークが毎年主催している王政復古のパレードです。

まずこの人物、作家、活動家、詩人ペトル・プラツァークと活動について。

1988年共産主義の終わる少し前、ペトル・プラツァークが先導して当時の文化人やインテリを集めて行った政治運動であり政治グループ『チェコの子供たち』は当時、体制側にもかなりのショックと驚きを持って受け止められた事件でした。反体制運動ではあるのですが、自由で公正な選挙を!とか民主主義国家を!という主張ではなく、あえて、立憲君主制を求めるマニフェストを掲げていたからです。どんな運動だったのか、そのマニフェストの一部を読むとわかりやすいのでこちらに訳します。

“我々チェコの子供たちはチェコの王国、聖ヴァーツラフが永続するものと宣言する。新しい王を迎え入れる準備をしていることをここに宣言し、それを我々の最大目的とする。恩寵の王とはすなわち、それが統治する祖国に責任を持ち、それが統治する人々に対しての責任を持つ神である!王は権力者や金持ちの下にある弱い人間の盾である!…王国は多数のために奉仕する少数からなる政府でもなく、少数のために奉仕する多数からなる政府でもない。王国は、この土地と国に寄生する数千の貪欲者、自己顕示欲の塊、徒食者や寄生虫の政府ではない。王国とは神聖なものである。…王国の政府とは人民が望み選ぶ形を実現するものである。人民が共産主義を選ぶなら、共産主義となるだけだ。我々はしかしながら、政府はいかなる政策を掲げる必要ななく、また掲げるべきでもないと確信している。政府が良いか悪いかのどちらかであるのみだ。我々はここに、現政権が娯楽文化分野を担当するか慈善団体への転向を提案する。”

 

My, české děti, vyhlašujeme, že Svatováclavská koruna, České království trvá. Připravujeme se na příchod nového krále, což je náš nejvyšší cíl. Král z boží milosti je Bohu odpovědný za svou zemi a za svůj lid! … Král je záštitou slabých proti mocným a bohatým! Království není vláda menšiny na úkor většiny či vláda většiny na úkor menšiny, království není vláda několika tisíc hrabivců, samozvanců, darmožroutů a parazitů země a národa. Království je posvátné. … Královská vláda budiž taková, jakou si zvolí lid. Jestliže si zvolí komunistickou, bude komunistická. My jsme však přesvědčeni, že vláda nemusí mít, ba nemá mít žádný politický program. Je buď dobrá, nebo špatná. Navrhujeme přechod politických stran do oblastí kulturně zábavných či mezi charitativní sdružení apod.“[4]

当時若い活動家やインテリたちでオーガナイズされた運動でしたので、半分冗談半分本気みたいなところを理解していただきたいのですが、反面、言動の自由の許されない、共産主義時代の話ですので、投獄、拘留、職を失うなどかなりのリスクを背負ってそれなりの活動をしているわけです。それにもまして注目すべきが、反体制の主要メンバーをも驚かせた「王政復古を求める」この宣言文でした。
(全文には「蟻たちに自由を!」とか大人を煙に巻くような不可解でふざけたような文章も出てきます。)

芸術活動の一環として知られるハプニングの延長とも取れるその反面、現政権を辛辣に批判する、また馬鹿にする、ある意味新しい形の政治運動として、当時、政権側と反政権の双方を驚かせました。

前置きはこの辺にして、現代に戻ります・・・。

皇帝をその上に抱くEUの前身的なオーストリア・ハンガリー帝国時代の進歩的で平等な国の形、またその以前の立憲君主制と現在の腐敗した政権を批判して、年明けに今でも続くこのパレード、政治的というよりは平和のパレードとして継続されています。

まず、ヴァーツラフ広場にある聖ヴァーツラフ像の元に集合、そこからプラハ城に向かいます。ブラスバンドも恒例の主要メンバーでマーチなどを演奏しながら行進です。

こちらのプラカードはフランツ・ヨーゼフ1世の息子、カール1世。2年だけの即位とはいえ、社会福祉などたくさんの制度を取り入れたことでも知られています。平和を愛した最後のオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝です。パレードはヴァーツラフ広場を南から北へ練り歩きます。

天文時計のもとで、オーストリア・ハンガリー帝国の国歌を歌うのがこのパレードの伝統です。うちの息子も参加ですが最年少ではありません。(笑

写真右はチェコの最重要作家の一人であるヤーヒム・トポル。「チェコの子供たち」をペトル・プラツァークとともに主導した人物です。プラカードも「チェコの子供たち」を一緒に動かした詩人で作家、通称マゴル。「喜びを忘れないで。」というスローガンが書かれています。(当時の若者によると、共産主義時代にこのスローガンは心に響くものだったそうです。)

中継地点で一回休憩!カフェ・モンマルトルで冷えた体を温めて、次はカレル橋まで向かいます。息子はいろいろな大人に声をかけてもらい。一人前の振る舞いです。

おにぎりで腹ごしらえも忘れずに・・・。

(私たちの)あこがれのヤーヒム・トポルさんとカレル橋の上で記念撮影もしてもらいました。後ろにはゴールのカレル橋が輝いています。4歳の息子にはなかなか長い道のりですので、私たちはここで終了、暖かいカフェでまた一休みとなりました。私がチェコに来てから17年。継続は力なりで直接的な政治インパクトはありませんが、共産主義時代の毎日や今の恵まれた平和な世の中をもう一度思い返す機会として、毎年一度このパレードは我が家の大事なイベントになっています。

 

静かな年末
2022年1月3日 月曜日

クリスマス明けの年末、息子を連れて市街地に久しぶりにお散歩。この日はプラハの国立劇場のある通りからヴルタヴァ川にかかるチェコ軍団橋の下にある射撃島を目指しました。

橋にかかると、プラハ1区のマークとオレンジの電球の光が見えます。なにかやってるみたいです。

橋の上からみると、スケートリンクが開設されていました。でも、この日はとっても寒くて人もまばらです。プラハ地内でも冬の時期だけ設けられるスケートリンクがちらほらと見られます。

うちの息子はスケートにはまだ小さいかなー・・・。もう少し大きくなってからという事で、この日は見るだけ・・・。

川辺にはおっと定番、ヌートリアさん。ヴルタヴァ川沿いではたくさんみることができます。外はマイナス2度程度。とっても寒そうです。

そのまま視線を先に向けると、1881年に完成した国立劇場があります。(当時上中流階級の多くを占めていたドイツ語での劇場はあっても、チェコ人のためのチェコ語の国立劇場はありませんでした。)ちなみに様式はネオゴシック様式。
クリスマスには「くるみ割り人形」が演じられていました。日本のバレリーナたちも出演もあり、久しぶりに劇場に出かけて見たくなりました。

プラハの凧揚げ
2021年10月11日 月曜日

昨日は私たちの住んでいる地区、プラハ3区の企画で年に一度の恒例凧揚げ大会が催されました。息子の風邪も治ったし、何よりもとてもいい秋晴れですので、凧を買って出かけることにしました。

公園の葉はオレンジや赤に染まり、秋の風情がたっぷり。まだそこまで寒くないのが嬉しいです。息子は初めての凧揚げということで大興奮。

こちらはプラハ3区にあるパルカーシュカという小高い丘の上にある公園です。さっそく先陣が凧をあげています。が、ほぼ無風・・・。あげるには凧をひっぱって走り回らないとなかなか風邪に乗ってくれません。

あがるといいな、僕の凧・・・息子の期待をひしひしと感じるものの、私は内心(これは大人の足でかなり本気で走らないとあがらないだろうなー)と思っています。

まだ3歳の息子(しかもあまり運動神経のよくないおっとりした少年)の力では、なかなか凧はあがってくれません・・・。

どうにかあげたい!!親も子供もヒートアップ。走り回って汗だくになりました。羽織もジャンパーも脱ぎ捨てて走り回ること小一時間、揚がったと言えば揚がったし、揚らなかったと言えば揚らなかった微妙な結果に終わりました。ww。次は風の吹く日に再トライを誓った親子でした・・・。

 

プラハの古いお惣菜屋さん
2021年9月9日 木曜日

今回は大使館へ行った回の続きです。読んでくださった方どうもありがとうございます!
大使館のある場所はプラハでも由緒正しい歴史的な地区、言い方を変えれば見所満載のツーリスティックなエリアです。
ですので近年では通りのほとんどが、観光客向けのカフェやレストラン、お土産品店で埋め尽くされています。

友人でここで昔から暮らす地元民がいますが、どうやって普段食料を調達しているのかしらと思ったりするほど、ある意味地元民にとっては不便なエリアかもしれません。

そんなエリアの中に、私がプラハに来た16年前からあって、その当時からかなり年季の入った食料品店&お惣菜屋さんがまだ営業を続けています。

店構えは典型的な共産主義時代のもの。販売員の後ろに商品が並び、客と販売員の間にはカウンターがある、それが特徴です。ですので、基本的に買いたい商品が決まっていて、それを伝えて購入するという流れになりますが、商品を手にとって見ることもできませんし、ふらっと入った観光客の方にはちょっとハードルの高いシステムかもしれません。(私もこちら来て間もなくの頃は言葉もできないし、手元で見て買うことができないので、このシステムにはなかなか鍛えられました。:))
その当時はつっけんどんな店員さんの態度が、外国人の間では「あるある」の一つであったぐらい当たり前のものでしたが、こちらの販売員さん、とっても気のいいお兄さんです。

この日はこのお店のおかみさんはいませんが、最近この息子さんがよく店に立っていらっしゃいます。優しい瞳をしているでしょう?:)
代々飲食店と惣菜屋さん、レストラン業を営んできた古い家系だそうで、家系は15世紀まで遡り、飲食業としての歴史をたどれば、17世紀にはすでに燻製肉屋としての歴史が残っているんだとか。さすが古都プラハですね・・・。

ショウケースにならぶのは、チェコの惣菜の一番選手、「ブランボラーク」(手前の茶色く、丸い揚げ物で、ジャガイモのお焼き)です。その隣にとんかつやポテトサラダなどが、ステンレスのケースに入っています。ブランボラークの向こうには、我らがオープンサンド、「フレビーチェク」も見えますね。

豚肉のカツ、鶏のカツ。

燻製のハムや、パテなど。

サラミもチェコのお惣菜屋には欠かせません。

店内もまた注目すべきポイントがたくさん。壁にはイノシシの剥製が。

角にはヴォドニークというチェコの妖怪が鎮座しています。池に住むと言われる妖怪で日本のカッパによく例えられます。

ハードリカーの合間に、天国への門の鍵を持つと言われる聖人・聖ペトルの像も。(息子さんペトルってお名前なのかしら?)

 

ポーランドなどから入ってくる燻製の魚なども置いてあるので、お魚のオブジェも。

お腹が空いた息子にはこれまたチェコの定番ホットドッグを買いました。